【書評】なんでこんなにちびまる子ちゃんの世界が好きなんだろう。
ちびまる子ちゃんが好きだ。
ずっとあの世界にいたい。今だに日曜日の18時になると「あ、ちびまる子ちゃん、、、」と思う。子供じゃないんやから、とか、どんだけ暇やねん、とか、誰になんと言われようと、好きなものは好きだ。
一見かわいくてあったかくてほろりと来るような内容なのに、「ちびまる子ちゃん」の世界には達観した冷たさがいつも潜んでいる。さくらももこ氏の思想の核となるその冷たさは孤独な悟りのようなものである。それを吉本ばなな氏は「偉大な冷たさ」と呼ぶ。
”ももちゃんはずっと冷静で、笑ったり泣いたり人情噺をしてるときでもどこかクールだった。人生全体を遊びととらえて、死ぬまで遊びぬいた人だった。人としてとても礼儀正しく明るい人だったが、常識など全てふっとばし、いたい人とだけいて、なんでも思いついたことをやりたいようにやった。その大きなスケール感が彼女の世界のシュールさの深みと直結している。作品はやはりその人そのものなのだ。”
シュールでクールで甘くてかわいくて毒があり色彩に溢れる世界。私たちの心をうんと自由にしてくれたその世界を描き続けたさくらももこ氏への尊敬が詰まった文章だ。
ちびまる子ちゃんの、あの世界全体に漂うクールな批評眼や脱力感。評者は子供の頃から、まるちゃんの家に出てくる縁側にずーーっと憧れている。あの縁側でお日様を浴びながらゴロゴロするのが夢だ。評者の脱力感は、あのアニメで培われたのかも。とんでもないものを培ってしまった。一体どうしてくれるんだろう。