パンの耳がすき

読書日記と、たまにカフェ日記。植物日記も。

【読書日記】答えは今ここにあるんじゃないだろうか。 影山知明『ゆっくり、いそげ』

 例えば、お店の評判や認知度を上げたいと思うとき。一つの方法は広告宣伝費を大量に使うことだが、実はそれよりも、お店を訪ねてくださるお一人お一人に丁寧に向き合うことを積み重ねていった方が、長い目で見たら近道ということは大いにある。

  かと言って、のんびりやっていればいいということでもない。一つ一つ、一かき一かきには全力を尽くす。

 自分はこの「ゆっくり、いそげ(フェスティナ・レンテ)」こそ、これからの経済や社会を考えるときの基本指針になるのではないかと思っている。

 

この間、久しぶりに豚まんを食べたくなって、蓬莱に買いに行った。蓬莱の店舗では、実際に豚まんを仕上げる作業を見ることができる。

 

ガラス張りのようになっている外側から、働いている方達が、豚まんの種を生地で包んだり、蒸しているところを見ていると、何とも言えない気持ちになってしまった。

 

彼らは、もくもくと、作業していた。こちらをちらと見ることもなく、もくもくと。必死に。真面目に。

 

計画的に仕事をすることは未来を生きることであるよりは未来を現在化してしまうことであり、したがってこの現在において仕事そのものを楽しむことでもなければ、見知らぬ他者と出会う可能性に開かれていることでもありえない。計画策定段階で想定した現在化した未来をこなしていくことなのである。仕事はいつも「こなす仕事」であるほかなくなってしまう。
これは「いい子」の生き方でもある。
こうあらねばならない自分が決まっていて、生きることはそのあらねばならぬ姿との隙間からつねに自己評価を行い、さらに頑張る。そこには現在を楽しむことや、不意打ち的他者と出会う可能性が閉ざされてしまっている。

 

 哲学者のエーリヒ・フロムはこんなことを言っている。

 

答えは結果ではなく、過程にこそあるのではないか。そう思わせてくれる本である。