【読書日記】ちっぽけな選択を積み重ねていこう。
言葉は往々にして、発信した方ではなく、受信した方の感受性に意味の全てがゆだねられている。
住野よるさんの「君の膵臓をたべたい」を読んでいて、こんな言葉に出会った。
「全て」と言い切ってしまうところがおもしろいな、と思った。
本書の主題とも言える、「人生は選択の連続である」というのは実はそんなに大それたことを言ってるんじゃなくて、それは小さな小さな選択の積み重ねだ、ということなんだと思う。
例えば昨日、今年になって初めて蝉の鳴き声を聴いた。
ああ今年も夏が来たんだなあ。と、ちょっと嬉しい気持ちになった。
そんな蝉の鳴き声ひとつにしても、まるで聴いていない人もいれば、うるさくてイライラしてしまう人、夏が来た!とはしゃぎだしたくなる人もいる。
こういうのも、とてもちっぽけだけど、ひとつの選択なんだろうと思う。
刺激と反応の間には「認知」という主観があって、人は「認知」や「意味付け」を変えることで、いかようにでも反応、すなわち、思考、行動、感情を変えることができる。すべては自分の選択の結果であり、いかようにでも選択を変えることは可能なのだ。
アドラー心理学ではこのような考え方をするそう。
私たちは無意識のうちに、一体どれほどの選択をしているんだろう。