【読書日記】句読点の打ち方に悩む。
いざ自分で文章を書くようになると悩まされるのが、句読点の打ち方。
"自分で音読してみて息継ぎをするところ"
というなんとも小学生的な感覚でつい書いてしまっている。
例えば、木皿泉さんの「さざなみのよる」の中の一節。
アイスクリームが緑色のソーダ水にとけて雲のような泡状のものがあふれ出てくる。それをあわててスプーンですくって口に運ぶが、たよりない味だった。それはアイスでもソーダでもない、よくわからないもので、まるでここにいる自分のようだと愛子は思った。
最初の一文、 私ならきっとこう書いてしまう。
アイスクリームが緑色のソーダ水にとけて、雲のような泡状のものがあふれ出てくる。
だけど、きっとぼーっとその景色を眺めていたであろう愛子を想像すると、やっぱり読点はない方がしっくりくる。
その方が、どこか上の空でただ目の前の現象を眺めている感じが伝わってくる。
こういうとても繊細な、ちいさなこだわりを発見すると嬉しくなる。
ほんとのところはどうなのかわからないけれど。まあこれも受け手の自由ってことでいいんじゃないかと思う。