パンの耳がすき

読書日記と、たまにカフェ日記。植物日記も。

【読書日記】考えるために書く。

「自由に本音をかける場所」としてブログを書き始めたけれど、だからと言って文章力の向上を怠るのはよくないことな気がしてきた。わざわざそんなものをこうして世界に公開しているということは、少なからず誰かに何かを伝えたい、繋がりたいという思いがあるからだ。

 

ということで、古賀史健さんの「20歳の自分に受けさせたい文章講義」という本を読んでいる。図書館で借りてきたんだけど、とてもよさそうなのでこれは購入しようと思う。

 

ひとまず、ガイダンスの内容をアウトプットしてみる。

 

  • 「書こうとするな、翻訳せよ」の原則を頭に叩き込む
  • 文章とは「頭の中の『ぐるぐる』を伝わる文章に”翻訳”したもの」であるという定義を持つ
  • 文章を書きあぐねている人、うまく書けずにいる人は”翻訳”の意識や技術が足りていないのだ、という認識を持つ
  • われわれは「書くために考える」のではなく、「考えるために書く」のだということを意識する
  • 「書く」というアウトプットのプロセスを通じて、われわれは自分なりの解を得ていく

 

そもそもなぜ文章を書けないという問題が発生するのか?

著者に言わせると、それは書こうとするからである。書こうとするから、書けなくなるのである。

 

だからいっそ、「自分の気持ちを書く」という意識は捨て去ってしまおう。

 

自分の”感じ”や”思い”を文章として正しくアウトプットするためには、書くことをやめて”翻訳”する。頭の中の「ぐるぐる」を整理して、正しく翻訳する。自分という人間の”翻訳者”になってみる。そのために、”翻訳”の意識を持ち、技術を身に付けていく。

 

われわれはどうして”翻訳”をするのか?

伝えるためだ。

伝えたい相手がいるからだ。

他者でも読者でも、言葉はなんでもいい。

誰かになにかを伝えたい、つながりたいと思うからこそ、”翻訳”をするのだし、しなければならないのだ。 

 

拙い文章ながらも、こうしてブログなんかを書いていると思考が整理されてすっきりする感覚がある。だからこそ頭の中の「ぐるぐる」をもっときちんと翻訳できるようになったら、それはとてつもなく気持ちいいことなんだろうと思う。翻訳できるようになりたい。