パンの耳がすき

読書日記と、たまにカフェ日記。植物日記も。

【読書日記】どこにでもある羞恥心

自分のブログをあとから読み返すと、強烈に恥ずかしくなることが多々ある。消してしまおうかとさえ思う。(みんなどうしてるんだろう?そんなこと思わないのかな)

 

だけど「本音で書く」と決めているから、いちいち消していたらきっとなにも書けなくなる。だから今は、なんとか羞恥心に耐えている。

 

そういえば、「自分の小説を読まれることは裸で街を歩き回るよりも恥ずかしい」みたいなかんじのことを、村上春樹がどこかで言っていた。あんな大作家でも恥ずかしいのなら、自分のちっぽけなブログなんて、もっともっと自由に書いちゃえばいいような気もするけど、、

 

それにしても羞恥心というのは、どんなところにでもあるものなんですね。(というかこれも承認欲求の一種なのかな?)

 

ラブレターは何も考えずに書き始めること

そして何を書いたか考えずに、書き終わらせること

 

フランス革命に大きな影響を与えたスイスの哲学者・ルソーはこんなことを言ったそう。

 

誰かに思いを伝えるときに大切なのは、心の底から湧き上がってくる感情をそのままぶつけることだ。そして、あとから冷静な目で書いたものを読み返したりしないこと。カッコつけるよりも、素直な気持ちを伝えるべきだ。

 

ラブレターとブログはちょっと違うのかもしれないけれど。でも「読者に思いを伝える」という意味では同じなのかな、と。

 

客観が大事だという声をよく聞くけれど、そうするとどうしても「思い」は薄まってしまいますよね。主観と客観。うーん。むずかしいです、、