パンの耳がすき

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【日記】自己都合で聞いていないか

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先日の夕暮れ時、京都の街を歩いていたらこんな言葉に出会いました。

 

 

「聞いている」つもりの人が世の中にはどれだけいるんだろう。

そして私自身、どれくらいの意識を傾けて相手の話を聞いているだろうか。

そもそも「こころで聞く」ってなんだろう、、、

 

そんなことを考えてしまいました。

 

「人は話しているか、それ以外の時間は次に話すことを考えている」と、誰かが言っていました。(うーん。誰だったかが思い出せない、、)

 

「次はどんな上手いことを言ってやろうか」

「どんな上手い返事をしてやろうか」

 

相手が話しているときも、いつだって見ているのは自分ばかり、、、

 

本当は、会話が成り立っていると思い込んでいるだけ。

 

キャッチボールをしていたつもりが、実はそれぞれ壁打ちをしていて、ボールはそこらじゅうに転がりつづけているのかもしれません。

 

よく考えると喧嘩というのも、お互い相手の話を聞かないことが根本原因なんじゃないかとさえ思います。

 

誰にも話を聞いてもらえないことに、みんなイライラし続けている。そんな気がします。

 

でもだからこそ、ちゃんと話を聞いてもらえたときに勝る快感は、ちょっと他にはないように思う。

 

偉大な心理学者ジムクント・フロイトは、偉大な聞き手であった。かつてフロイトと話す機会のあった人が、つぎのように説明している。

 

フロイトのことは生涯忘れられない。彼には、私がこれまでに会っただれにもない資質が見受けられた。彼の目はおだやかでやさしかった。精神分析のときの”魂を見通す眼”など全く感じさせない。声は低く、あたたかで、身振りはほとんどない。わたしのことばに注意を集中し、へたないい回しにも耳をかたむけ、それなりの評価を与えてくれた。このような聞き方をしてもらえたことが、わたしにとってどんなにすばらしい経験だったかご想像にまかせる」。

 

 まさにミヒャエル・エンデが描くモモですよね!

彼女がただ一つだけ持っていた、かけがえのない才能。

私たちに欠けている、とても尊いものに思います。

 

私も、じっと聞いてくれる相手がいるからこそ、丁寧に言葉を発しようと思います。それにはまず、自分が相手の話を丁寧に聞いてあげること。こんなシンプルなことを、何で見落としてしまうんだろう、、

 

そういえば、こんな言葉もありました。

 

人の話をよく聞き、口数を少なくするために、人間には耳がふたつ、口がひとつついている。  

 

古代ギリシャの哲学者、ゼノンの言葉です。何ともシンプルですよね。思わず納得してしまいます。

 

ところで、ブログ記事はだいたいパソコンで書いているのですが、最近キーボードの反応がすこぶる遅いです。じっくり言葉を噛み締めて聞いてくれてるのかなあということで、まあよしとしています。(ほんとは調べるのが面倒なだけ)