【読書日記】推敲に必要なもの
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」第4講まとめです。いよいよ最後です。
・編集の2段階
・図に描き起こせるか?
・映像が思い浮かぶか?
・推敲に必要なものは?
詩文を作るとき、最適の字句や表現を求めて考え練り上げることを”推敲”と言う。
そして推敲の基本とは、ハサミを使った編集である。
編集には2段階ある。
書き終えたあとの編集と書きはじめる前の編集だ。
書きはじめる前の編集においては、「何を書くか?」ではなく「何を書かないか?」が重要となる。足し算で考えがちな頭を、引き算に切り替えてみる。
引き算に切り替えることで、文章を考えることは自分にとって大切なものや自分の価値観を考えることになる。それはつまり、自己探求と自己分析の作業となる。
そして書き終えたあとの編集においては、”編集者”の眼を持つこと。
編集の見事な映画というのは、無駄なカットがひとつもない。どんなに些細な1シーンでも、それが入る意味を監督は説明できるものだ。
文章に置き換えるなら、
「なぜここにこの一文が入るのか」
「なぜここにこの一文が入らないのか」
これを説明できるようにしておくということだ。
読者にとって、冗長な文章ほどつらいものはないということを肝に銘じておこう。
推敲とは過去の自分といまの自分の対話であり、最大の禁句は「もったいない」なのである。
また、推敲においてチェックすべきポイントがある。
著者は本書において、この2点を繰り返し唱えてきた。
”論理”の重要性
”面倒くさい細部”の大切さ
これらをチェックするために、推敲における問いかけが必要となる。
論理が破綻していないかどうかは、
「この文章を図に描き起こすことはできるか?」
面倒くさい細部を描くことができているかどうかは、
「この文章を読んで”映像”が思い浮かぶか?」
読者にとってつらいのは「文字だけを追わされること」であり、逆に言うといい文章とは、情景がくっきりと思い浮かび、まるで体感しているかのような文章である。
たとえば、「銀座のカフェでおいしいサンドイッチを食べた」というブログ記事で、読者にサンドイッチの味をイメージさせ、「自分もその店に行きたい!」と思わせること。そして実際に時間とお金をかけて足を運ばせること。あるいは自宅でサンドイッチをつくらせること。食べた事実を伝えるだけでは、いい文章とは言えない。読者を動かしてこそ、いい文章なのだ。
村上春樹の小説を読むといつもサンドイッチを食べたくなるよなあ、、、
そういえば、推敲は最大の趣味だと、村上春樹は言ってました。推敲ができるから小説を書いているようなものなんだとか。
最初はだいたい流れのままにさっと書いてしまって、あとからしっかりと手を入れていきます。最初からみっちり書いていこうとすると、流れに乗ることがむすかしくなるので。
推敲にとってもっとも大事なのは、親切心です。読者に対する親切心(サービス心ではなく親切心です)。それを失ったら、小説を書く意味なんてないんじゃないかと僕は思っているのですが。 「村上さんのところ」
サービス心ではなく親切心。
なるほど。
てことで、「20歳の自分に受けさせたい文章講義」ようやく終わりです。
長々と書いたけど、あまり難しく考えず、参考程度にしようっと。