【映画日記】「ドライブ・マイ・カー」を観てきました。
時々、映画館に行きたくなります。
あの空間が好きなんだと思います。
映画館に行くための口実として、観たい映画を探し出す。なんてことをしちゃいます。
そうして探していると、原作が村上春樹の短編の映画が上映されていることを知り、観てきました。しっかり予習もしていきました。
一番の感想としては、疲れました。(笑)
原作が50ページ程度の短編だし、上映時間は2時間位だろう。軽ーく観れるかんじだろう。と完全に油断しておりました。
実際はすごく長くて、3時間位ありました。しかも、さすがは村上春樹の世界観を映像化しているだけあって、とにかく抽象的。最初から最後まで抽象的。
これはこれで疲れるものなんだなーと思いました。「集中して観よう」と力みすぎていたのもあるかな?予習までしちゃったものだから。
たぶん、村上春樹の小説と同じく、集中して観るようなものじゃないんでしょうね。(失礼だろうか)
いかに脱力するか、と言いますか、、
以前「ガケ書房の頃」という本を読んだのですが、その本の著者であり書店経営者でもある山下賢二さんが、毎日書店に立って感じたことがあったそうです。
それは「突き詰めると、人が興味を持っているのは性と生と死だけ」ということ。
なるほどたしかに。とそのとき思ったのですが、村上春樹の小説を読んでいると、まさにそれらを上手い具合に煮詰めて凝縮させているなと感じます。
だからたまにおえっと気持ち悪くなる。
だけどそんな実感さえも大切にして、ただ感じていればいいということなのかな。
私は村上春樹の小説が大好きなんですが、いつもよくわからないかんじで始まってよくわからないかんじで終わります。だけどこのわけわからん浮遊感みたいなのが気持ちいい。それに、読む前と読んだ後で、確かに自分の中の何かが変わっている気がする。(村上春樹的なことを言ってみました)
他のみんなはどんな風に読んでいるんだろう。
一度小説を読んでいる人の頭の中を覗いてみたいです。きっとそれぞれ全然違う世界が繰り広げられているんだろうな。
映画の感想を書いていたのに全然違う話になってしまいましたので、「ドライブ・マイ・カー」に出てくる印象的な言葉で終わろうと思います。
どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。本当に他人を見たいと望むのなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです。
ところで原作だと車は黄色なんだけど、映画では赤色だった。何か意味があるのかな。