パンの耳がすき

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【読書日記】自由とは、他者から嫌われることである。 岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』

ほんとうの自由とはなにか。

これを考えることは、人がこの世に生きるうえでの永遠の課題だと思う。

 

石ころは無力です。いったん坂道を転がりはじめたら、重力や慣性といった自然法則が許すところまで、転がり続けます。しかし、われわれは石ころではありません。傾向性に抗うことができる存在なのです。転がる自分を停止させ、坂道を登っていくことができるのです。

 

おそらく、承認欲求は自然な欲望でしょう。では、他者からの承認を受けるために坂道を転がり続けるのか?転がる石のように自らを磨耗させ、かたちなきところまで丸みを帯びていくのか?そこでできあがった球体は「ほんとうのわたし」だといえるのか?そんなはずはありません。

 

アドラー心理学では、「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考える。

 

人は決してひとりでは生きられない。つまり対人関係から解放されるという自由はありえないということだ。

 

では自由とは?答えは出ているのではないか。

 

「自由とは、他者から嫌われることである」

 

誰かに嫌われている、ということこそが、自由に生きている証である。

 

これは「他者から嫌われろ」と言っているのではなく、「嫌われることを恐れるな」と言っているのだ。

 

きっとあなたは、自由とは「組織からの解放」だと思っていたのでしょう。家庭や学校、会社、また国家などから飛び出すことが、自由なのだと。しかし、たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。 つまり、自由になれないのです。