【読書日記】ほんとうに欲しいものは?
人間は死んだら終わりじゃないと言いたい。私自身、亡くなった人から、たくさんの知恵と優しさをもらってきた。私たちは、そんな亡き人の遺産を受け継いで、今、ここに立っている。
そういう目に見えない、亡くなった人たちがつくり上げてきた、人間としてどうあるべきか、という道標があったからこそ世の中が回っているのに、気がつけば消費社会の価値観こそがすべてだということになっている。
今はまだ、昔の人がつくり上げてきた真っ当な考えが生きているから、世の中は何とか回っているが、数さえ集まれば勝ちという価値観だけでは、ますます格差が広がってゆくばかりで、人々の不満を押さえつけるための締め付けばかりが強化され、金持ちさえも住みにくい世界になるだろう。
もう少しだけ、遠くまで見る目を持つことはできないものか。この小説は、そんな気持ちもあって書いたものである。
ずいぶん長くなってしまったが、あとがきからの引用である。
この資本主義社会、消費社会は、一体どこまでいくのだろう。もう限界まで来ているのだろうか。私たちは、どこを目指しているのか。
この社会の怖いところは、自分がほんとうに欲しいものが何だったのかわからなくなるところだと思う。
色々なものを「欲しいと思わされて」いるうちに、ふと気づくと自分の手元が真っ暗になっている。
いつのまにか自分がいるのは誰かにしっかりと区切られ、整備された時間と空間で、ほんとうの自分の位置はわからない。
それでいいのだろうか?
自分のことを他人に決められて、いいわけがないと思う。
【読書日記】考えすぎないように、考えよう。 みうらじゅん、リリー・フランキー『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』
リリー:自殺ができる人って勇気もあるし、すごく自尊心が強いと思うんです。だから逆に、そういう性質をもった人がネットで赤の他人と集まって自殺するっていうのが、いまひとつ理解できないんです。そのとき、もうすぐ死ぬわけじゃないですか。それなのに最後くらい人と違う自殺をしてやろうと思わないのかなって。
例えば練炭みたいな、そんな安価なもので……だったら、東京ドームぐらいのでっかい練炭を作って(笑)、練炭を2万個ぐらい集めたうえで死ぬとか。切羽詰まると自分が人生の主人公だってことを忘れるんでしょうかね。
みうら:それだけの量だと集めてるうちに、何のために集めてるのかわからなくなるね(笑)。
リリー:そのうち練炭に詳しくなったりして(笑)。
そういえば小さいころ、この世界の主人公は誰なんだろうってずーーっと考えてたなあ。
母親に聞いてみても納得できる答えは返ってこなくて。
今でもわからないけど、なんとなーくはわかってきた。(かも?)
………
ってことは、今でも考えてるんじゃん。(笑)
小さいころから変わらず、哲学が好きだったんだろうなあきっと。
答えは出ないけど、考えてしまうんだから、仕方ない。ゆるく考え続けよう。
リリー:やっぱり酒も、体調が悪いと飲みたいと思わなくなるじゃないですか。タバコもそうだし。意外と体に悪いことでも、やりたいと思っているうちはまだマシで。結局のところ、いろんなことの結論は、みんな考えすぎて破綻してるこということがよくわかりますよね。
だ けど、考えすぎは、禁物です。。。
【読書日記】心の穴との向き合い方。 二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』
幸せそうな人には、心の穴がないように思えるかもしれませんが、そうではありません。自分を愛すること(受容すること)ができてる「幸せそうな人」とは、自分の心の穴をふさいだり無理にコントロールしようとしたりせず、おりあいをつけている人なのです。
これもやはり「自己肯定感が高い」ということなのだろうか。
だけど「自己肯定感」という言葉にはどこか、あまりにもポジティブな印象がある。
ちょっとしんどい気がしてしまう。
聞こえは良くないかもしれないが、著者の言う「自己受容」というのは、もっと省エネなんじゃないだろうか。
内なる自分に対して、「ああ、そうなのね。そう思ったのね。」みたいに話を聞いてあげてるかんじ。
ちゃんと聞いてあげる。それだけなのかも。
心の穴の「かたち」というのは「こういう状況だと、こういう気持ちになる。こう行動してしまう」という、感情や考え方のクセのことです。コントロールできない感情・行動だけでなく、自分でコントロールできていると思ってる部分もふくめて。
恋愛の場面にかぎらず、自分は「どんな目にあうと、どんな気持ちになるのか」「どんな人から、どんなことをされると、どんな反応をするのか」を、見つめてみましょう。
他人から見た自分には、「どんな欠点があって、どんな魅力があるのか」を冷静に考えてみましょう。
【読書日記】自由とは、他者から嫌われることである。 岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気』
ほんとうの自由とはなにか。
これを考えることは、人がこの世に生きるうえでの永遠の課題だと思う。
石ころは無力です。いったん坂道を転がりはじめたら、重力や慣性といった自然法則が許すところまで、転がり続けます。しかし、われわれは石ころではありません。傾向性に抗うことができる存在なのです。転がる自分を停止させ、坂道を登っていくことができるのです。
おそらく、承認欲求は自然な欲望でしょう。では、他者からの承認を受けるために坂道を転がり続けるのか?転がる石のように自らを磨耗させ、かたちなきところまで丸みを帯びていくのか?そこでできあがった球体は「ほんとうのわたし」だといえるのか?そんなはずはありません。
アドラー心理学では、「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考える。
人は決してひとりでは生きられない。つまり対人関係から解放されるという自由はありえないということだ。
では自由とは?答えは出ているのではないか。
「自由とは、他者から嫌われることである」
誰かに嫌われている、ということこそが、自由に生きている証である。
これは「他者から嫌われろ」と言っているのではなく、「嫌われることを恐れるな」と言っているのだ。
きっとあなたは、自由とは「組織からの解放」だと思っていたのでしょう。家庭や学校、会社、また国家などから飛び出すことが、自由なのだと。しかし、たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。 つまり、自由になれないのです。
【絵本紹介】大嫌いなあいつをどうしてやろう。 ヨシタケシンスケ『ころべばいいのに』
【植物日記】養子をもらいました
ずっと何か植物を育てたくて。
近くにずっと気になってるお花屋さんがあって。
とうとう買ってしまいました。アロマティカス。
ほんとはバジルとかええなーと探してたんですが、この子に一目惚れしちゃいました。
ミントのお仲間みたい。だから食べれちゃうみたい。ミントアイスを作ってやろう。しめしめ。(正確にはアロマティカスアイス)
一目惚れしたのももちろんあるけど、この子にした決め手は、
・乾燥を好む。
・風通しがよく日光のよく当たるところが好き。
・夏は半日影にいたい。
・寒さには弱いので冬は暖かいところにいたい。
・ごはんとお水はほんとにお腹減ってから。
……私と共存できそう!!!!
そんな理由でございます。相性よさそうだなと。
まあとにかく、大切にしよう。
あ、後から知ったのですが、アロマティカスの香りは、ゴキブリが嫌うみたいです。嬉しい!
【カフェ日記】お店で食べるバタートーストはなぜあんなにもうまいのか。 京都『月と六ペンス』
訪れるのは二回目である。
静かに過ごしたい一人客向けのお店だ。こういうお店は案外少ないので、ほんとうにありがたい。。
近くに用事があったので、とても久しぶりに行ってみた。(前に行ったのは一年前位だったと思う。)
ゆっくり読書したかったので、アイスカフェオレだけを注文。ミルクとコーヒーがマーブル状のまま、すぐに出してくれた。
そう。マーブル状のまま。。
ここがとてもとてもとても重要なのだ。
私はアイスカフェオレのこの景色が、夕焼けの次くらいに好きだ。なんて儚くて、美しいのだろう。
そして混ざりきらないままに届く、ということは、お店の方が決して手を抜いているわけではなく、むしろとても丁寧にアイスカフェオレを取り扱っているということだ。
そんなアイスカフェオレは、もちろん、美味しい。暑い中を歩いてすっかり乾ききった喉を優しく流れ落ちてゆく。気持ちいい。。
アイスカフェオレの氷が少しずつ溶けてゆくのをちら見しつつ、読書を進める。
ふと気づくと、周りにはぱらぱらとお客さんが。お昼時だったので、他の方が頼んだパンを焼く良い香りが漂ってくる。
今日は読書に専念するんだ。だからドリンクだけだ。と固く決心していた心は簡単にほぐされ、気付いたら「バタートーストを一つ」と注文してしまっていた。
しかしここのバタートーストの美味しさたるや。
これ以上に美味しいバタートーストを、私は知らない。
(とか言って他のとこでも言ってたらごめんなさい。ほんとにバタートーストが好き。)
とにかく、一食の価値あり、なので行ってみてください。できればお一人で!
【読書日記】人を愛せる人になりたい。 二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』
子どものころから、自分には心にぽっかりと空いた穴があるように感じていた。周りのみんなは満たされているように見えて、自分だけだと思っていた。
その穴はどんなに満たそうとしてもうまくいかなくて、無視しようとすればするほど大きく広がっていく。
自分で感情を感じきること。
その上で、冷静に自分の気持ちを相手に伝えること。
それが「自分の感情の責任を持つ」ということです。
そうか。私に足りなかったのは、「心の穴を埋めるためのなにか」じゃなくて、「自分の感情への責任」だったのか。
自分のして欲しいことを要求したり、愛されるために無理して相手の要求をのんだりして、 やがて傷ついていくのが恋です。
「私のやりたいことが、彼のして欲しいこと」に、「彼のやりたいことが、私のして欲しいこと」に、なっていくのが愛です。
人を愛せる人になりたい。
なるべく愛しましょう。
愛せない相手からは、なるべく遠ざかりましょう。
もちろん、誰でもいいってわけじゃないよね。
【カフェ日記】風鈴の音が心地よい場所。 京都『雨林舎』
母の道先案内人として、京都へ。
まずは阪急京都河原町駅で降り、鴨川を北上して前から行きたかった『コーヒーハウスマキ』へ。(ここでの写真を撮り忘れてしまったので、代わりに鯖街道の標識。この近くです。)
とても美味しいアイスカフェオレを頂く。
だがその前に、実は衝撃の事件があったのだ。
なんと、鴨川沿いをてくてく歩いていると、、、
シカ!!!???
テレビ局や警察なんかも追いかけてて、そこにいる全員の注目の的になっていた。
山から間違って降りてきちゃったのかなあ。
で、コーヒーハウスマキのあとはまたまた西へ向かっててくてく歩いて、母の目当ての洋服屋さんへ。北野白梅町あたりだったかな?
そのあと、またまたてくてく歩いて南下して、ようやく雨林舎へ!
町屋に作ったカフェで、風鈴の音がとてもとても心地よかった。風通しもよく、読書がすすむ!
また一人でもゆっくりこよう。
あ、母が頼んだゼリーケーキが、びっくりするくらい美味しくて感動だった!
ごちそうさまでした♪
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【書評】他人の痛みを想像する心を、我々は訓練して身につけるべきだ。『二十一世紀に生きる君たちへ(併載:洪庵のたいまつ)』
斎藤道三、織田信長、緒方洪庵、土方歳三、坂本龍馬、正岡子規、秋山真之、、、。
司馬遼太郎の数々の歴史人物に対する愛情は半端ない。
つまりは人間への愛情が半端ない。
彼の小説は、私たち人間への愛と優しさに満ち溢れているのだ。
21世紀に入りもう21年が経とうとしている。
本書は、著者が日本の行く末を憂い、1987年・1989年に小学校5・6年生の国語の教科書のために書いた作品だが、私は今でも本書をよく読み返す。
ここには人間にとって最も大切なことが、凝縮されているように感じるからだ。
歴史人物に対する好奇心に満ち溢れた人生を送った著者だからこその、私たち現代人への愛と優しさが、本書には詰まっている。
私たちはいつの時代にも、自然に対する畏敬の念を忘れてはいけない。
20世紀という時代は、ある意味では自然への恐れが薄くなった時代だった。しかしどんなに科学技術が発展しようとも、「我々が自然によって生かされている」ということは、いつの時代においても、不変の事実である。
そして私たち人間は決しておろかではない。21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬するようになるだろう。自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるに違いない。
果たして、私たちはそうなれているのだろうか。
なれていないとしたら、足りないものはなんだろう。
著者によると、私たちにとって大切なのは、”すなおさ”である。
自然や他者に対し、すなおに尊敬できる態度が必要とされているのではないか。
そしてそのために、私たちは自己を確立しなければならない。
すなおでかしこい自己を。
そもそも、人間は決して孤立して生きられるようには作られていない。助け合って生きるように作られている。
それでは、そんな気持ちや行動のもとはなにか。
それは、他人の痛みを感じる心。
つまりはやさしさである。
私たちはこの心を、訓練して身につけなければいけないのだ。やさしさとは決して勝手には身につかない。訓練が必要である。
たとえ偽善でも自己満足でも、それはきっと姿勢の問題なんだと思う。
著者が数々の本を書いてきて伝えたかったのは、ひょっとしてこのことではないだろうか。
「他人の痛みを想像する力を、日々訓練する」
これが生きるということなのではないだろうか。
SNSによるコミュニケーションが主流となり、人と人の物理的距離が離れた現代だからこそ、想像力ややさしさがより一層必要になる。やさしさとは強さなんだと、私は思う。