パンの耳がすき

読書日記と、たまにカフェ日記。植物日記も。

【読書日記】たおやかな女性

何の前情報もなく、なにげなくふらっと立ち寄ったお店がおいしいお店だったら、とても嬉しくなる。

 

そういうお店の方が、案外心にずっと残ったりする。なんでだろう?

 

そしてこれは、本でも言える。

 

あてもなくふらふらと立ち寄った本屋さんで、なにげなく手に取った本が、とっておきの一冊になったりする。

 

私にとって、小川糸さんの「蝶々喃々」という本が、そういうもの。

 

この本とは、もう7年くらいの付き合いになるかな?

正直、どこで見つけたのかさえ覚えていない。

 

これまたなにげない日常系なんだけど、(そういう本が好きなのです)

小川糸さんの描く女性が、とても好きで。

 

やわらかくて、ふわふわしてて、儚い感じなんだけど、芯が通っていて。

 

こんな女性になりたい、と思う。

 

最近、「たおやか」という言葉の意味を調べていたら、まさに小川糸さんの描く女性そのものだな、と思った。

 

〘形動〙 (「たお」は「たわ(撓)」の変化したものという。「やか」は接尾語)
① 姿や形などがしなやかなさま。柔らかなさま。たわやか
※枕(10C終)六七「萩、いと色ふかう、枝たをやかに咲きたるが」
※中華若木詩抄(1520頃)中「この女の舞ふ、すがた、たをやかにして」
② ものごし、態度などがものやわらかなさま。また、気だてや性質が、しっとりとやさしいさま。おだやかなさま。しとやかで美しいさま。優美なさま。
※源氏(1001‐14頃)帚木「あなうたて、この人のたをやかならましかばと見えたり」
静嘉堂文庫本無名抄(1211頃)「心あらん人に見せばや津の国の難波わたりの春の景色を 是は始めの歌のやうに限なくとをしろくなどはあらねど、優(いふ)深くたをやか也」
③ あだめいているさま。
浮世草子・男色大鑑(1687)一「此人七才の時より、形さだまって嬋娟(タヲヤカ)に、一笑百媚の風情」

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

 

「たおやか」の語源は「固いものが曲がった形になる」「弧を描く」という意味の「撓む(たわむ)」の「たわ」が音変化したものだと言われているそう。

 

この言葉にも、なんだか私は、芯の強さを感じる。

 

芯の強さがあるからこその、柔らかさなんじゃないか。やさしさ、美しさなんじゃないか。

 

それはきっと、いくら見た目を豪華にして着飾っても手に入るものではないんだろうなあ。手にいれるにはきっと、とてもとても時間のかかるものなのだ。

 

食べた瞬間、口の中で優しくほどけた。出すぎた味が、何もない。淡白なのに、根底にしっかりとした鶏の味がふんばっている。大根おろしとの相性がとてもいい。あっという間に鍋の中が空っぽになったので、私は少しスープを注ぎ足してから、更に種をぼとぼとと落とした。再び、煮えるのをじっと待つ。また、風が吹いてくる。さっきよりも、幾分涼しくなっている。

 

 

 

【日記】何が正しいのかはわからないけれど。

今朝、父親がテレビを見ていて、受動視聴するかたちになってしまったのだけど。

(普段はあまりテレビを見ないようにしている。)

 

何の番組だろう?ニュース番組?とも言えないような。。

東野幸治さんとかが出ていて、ニュースを形だけ紹介して、好き勝手あることないことおもしろおかしく喋る番組。

 

ワクチン陰謀論について、ぶった斬る!みたいな内容だった。

 

私は正直、化学の知識とかないし、ワクチンが良いとか悪いとか、ほんとのところはよくわからない。

 

科学的根拠があるから、みんな信じる。まあそんなもんだろうとは思う。

 

だけど、そのテレビを観ていて思ったのはそんなことじゃなくて。

 

なんというか、喋っている人たちの雰囲気が、胸糞悪かった。

 

彼らの顔は、すっごく根性の悪いいじめっ子にしか見えなかった。

 

「俺たちは正義だ!あいつらは馬鹿だ!」

 

そう言っているようにしか聞こえなかった。

 

あれ?テレビってこんなに下品なものだったんだ、と思ってしまった。

 

世の中の子どもたちも見ている、という自覚はないのだろうか。

 

大人たちの、いじめっ子現場を。

 

【読書日記】添加物だらけはちょっと嫌だ。

青年:尊敬ってのはね、自分もそうありたいと請い願うような、あこがれにも似た感情のことを指すのですよ!
 
哲人:いいえ。それは尊敬ではなく、恐怖であり、従属であり、信仰です。相手のことをなにも見ておらず、権力や権威に怯え、虚像を崇めているだけの姿です。
尊敬(respect)の語源となるラテン語の「respicio」には、「見る」という意味があります。まずは、ありのままのその人を見るのです。あなたはまだ、なにも見ていないし、見ようとしていない。自分の価値観を押しつけようとせず、その人が「その人であること」に価値を置く。さらには、その成長や発展を援助する。それこそが尊敬というものです。他者を操作しようとする態度、矯正しようとする態度には、いっさいの尊敬がありません。

 

大人になると人は、先入観とか、常識で縛り付けられている状態がふつうになる。

 

食べ物で言うと、添加物だらけの状態だ。

 

もちろん、無添加で生きていくのはちょっと厳しいかもしれない。

 

だけど添加物で埋め尽くされて、もはや本質が空っぽみたいな状態は、ちょっと嫌だ。

 

自分の心の声を無視し続けていると、きっとそうなってしまうんだと思う。

 

 

すなおな心で、他者を尊敬するということ。

 

とても簡単で、とても難しい。

 

互いのあいだに尊敬が存在しないのなら、そこには人間としての「関係」も存在しないでしょう。そのような組織は、たんなるネジやバネ、歯車のように「機能」としての人間が集まっているに過ぎない。機械のような「作業」はこなせても、人間としての「仕事」は、誰にもできないのです。
 
ただ「子どもたちの関心事」に関心を寄せるのです。あなたの目から見て、どんなに低俗な遊びであろうと、まずはそれがどんなものなのか理解しようとする。自分もやってみて、場合によっては共に遊ぶ。「遊んであげる」のではなく、自分自身がそれを楽しむ。そのときはじめて、子どもたちは自分が認められていること、子ども扱いされていないこと、ひとりの人間として「尊敬」されていることを実感するでしょう。
子どもだけではありません。これはあらゆる対人関係で求められる、尊敬の具体的な第一歩です。会社での対人関係でも、恋人との関係でも、あるいは国際関係においても、われわれはもっと「他者の関心事」に関心を寄せる必要があります。

 

たった一人でも、もしも本当に横の関係を築くことができたのなら、その人の世界は大転換するそうだ。

 

横の関係を築くには「すなおな他者への尊敬」が不可欠だ。

 

これは頑張ってするものではなく、今までの人生でくっつけてきた余計な添加物を引っぺがしていくと、うまくいくんじゃないだろうか。

 

もちろん全部取っ払っちゃうと危険だから、気持ち程度は残して。

 

共同体感覚についてアドラーは、好んでこのような表現を使いました。われわれに必要なのは、「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」だと。 

 

 

 

【読書日記】続くから、怖いのかもしれない。

鷹子の心は激しく揺さぶられた。それは、樹王の、生きとし生けるものへの祈りのように思えたからだ。生きとし生けるものの中には、たぶん自分も入っていて、ナスミもいて、笑子も日出男もいるのだ。まさしく、生きることは、「続けっ!」なのだ。

ナスミが死んでも、鷹子の人生は続いてゆく。鷹子が死んでも、誰かの人生は続いてゆくのだ。 

 

「昨夜のカレー、明日のパン」というドラマから、木皿泉さんの大ファンになった。

 

どうやらこの小説もドラマがあるらしい。どっちが先だったかな?

 

とにかく、この二つの作品に共通しているテーマは「死」である。

 

大切な人の死に向き合う登場人物を、淡々と描いている。

 

ドラマ「昨夜のカレー、明日のパン」において、仲里依紗さん演じるテツコの、

「人は必ず死ぬんだからね!かずきみたいに死んじゃうんだからね!」

というセリフがとても心に残っている。

 

別になんでもない言葉にも思えるんだけど、日常でふと思い出しては、「ああ、そうだったそうだった」とか考える。

 

「死ぬ」つまり「終わる」。ドラマとか漫画で言うなら、「完」ってやつ。

 

ということはつまり、その反対がある。それが「つづく」。

 

私たちが怖れているのは、もしかしてこっちなんじゃないか。

 

なんて、本書を読みながら考えてみたり考えなかったり。

 

 

 

【読書日記】傷つくこと前提で、人と付き合う。

4年間くらい、ひきこもってしまった時期があった。

 

ここ最近になってようやく、人付き合いの楽しさを感じられるようになった。

 

心から話せる人に巡り合えたことが大きいかもしれない。

 

それでも、それは自分から人に出会いに行ったおかげなわけで。

 

自分に対する自信を全く失っている状態で、人と話すことはすごくすごく勇気のいることだった。

 

まあ、ひきこもる以前も、ほんとうの意味で自信を持てていたのかは怪しいけれど。(まあそれは今もなんだけど)

 

そんな今日は久しぶりに「嫌われる勇気」を読んでおります。

 

哲人:もうおわかりでしょう。なぜあなたは自分が嫌いなのか?なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないでおこうとしているのか?それはあなたが他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているからなのです。

 

青年:どういうことです?

 

哲人:赤面症の彼女が男性から振られることを怖れていたように、あなたは他者から否定されることを怖れている。誰かから小馬鹿にされ、拒絶され、心に深い傷を負うことを怖れている。そんな事態に巻き込まれるくらいなら、最初から誰とも関わりを持たないほうがましだと思っている。つまり、あなたの「目的」は、「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。

 

そもそも、傷つくことを避けて人と付き合うことは無理なのだと、私もようやく気づきはじめた。

 

傷つくことを前提にして、でもそれを補って余りあるくらいの喜びもあると信じて、それを探しにゆく。

 

もちろん傷つきすぎるのはよくないから、なるべく避けるようにする。逃げることは全然悪いことじゃないんだし。

 

そういえば、「俺はアドラー心理学を学んだぜ」みたいな人に限って、その人の正義を押し付けてきたりするように感じるんだけど、気のせいだろうか。

 

私もそうならないように、気をつけよう。。

 

 

【読書日記】愛しあえるかどうかのカギは、「相性」と「タイミング」

自分を幸せにしてくれるのはどんな人だろう?

 

大事なのは、年収?身長?学歴???

 

ほんとにそんな、上っ面だけでパートナーを決めていいんだろうか。

 

たしかに、見栄えはいいのかもしれない。

 

だけど、その人といるその時間、その瞬間は、心満たされるものだろうか。

 

本書によると、必ずしも自己肯定感が高けりゃいいってもんじゃあないらしい。

 

あなたを幸せにしてくれる男性は、

かんたんにインチキ自己肯定してしまう男でもなく、

自己受容する気がない男でもなく、

「自分の意思で、ちゃんと自己受容しようとしている男性」です。 

 

大切なのは、「今自己肯定感が高いこと」ではなく、自己受容しようとしているかどうか。現在地ではなく、ベクトルが大切ということだ。

 

具体的なチェックポイントは、

 

・まだ自己受容できていないことが、自分でわかっている

・自分の心の穴が、他人に迷惑をかけてしまうことを知っている

・そのことに、開き直ってはいない 開き直ってるのが「インチキ自己肯定」です

・ 「あなたの心の穴」を否定しないが、甘やかさない 悪い男は、あなたを否定したり逆に甘やかしたりすることで、「支配しよう」とします。「悪い親」がすることと同じです

・上から目線で「あなたを理解したフリ」をせず、そのまま受容しようとしてくれる

・一緒にいて、なんとなく居心地がいい

・そのことを、おたがいに感謝しあえる

 

そして、一番重要なのが、

 

・一緒にいることで、あなた自身も相手も、いい方向に変わっていける

 

そういう人が、あなたの「運命の人」です。

 

 

愛しあえるかどうかのカギは「相性」と「タイミング」だけだったりするそうですよー

 

そのためには、きちんと相手を見て、相手の話を聞かなきゃですね。

 

心がけよう!

 

 

 

 

 

【読書日記】大人の言うことはだいたい正しくない。 

 

最近、放っておいたら情報量があまりにも多くて、しんどいなあと思う。

 

知識というのは単なる情報だから、自分で摂取する情報をちゃんと選ばないと。自分のためにこの情報は得るべきじゃないと思うものをちゃんと判断して、ときにはシャットアウトできる人が、いわゆるインテリでしょ。

よく、ボンヤリ社長が新入社員とかに「新聞3紙を読め」って言うけど、意味がないですよね。そういうものは強要されて読んだって、何の足しにもならない。読みたくて読まなきゃ。 おやじが10代の女のコにレッド・ツェッペリンンのCDボックスを渡して、「これぐらい知っておかないとロックがわからないぞ」と言っても、そんなもの必要ないじゃないですか。必要とされていない知識というのは、もう雑学だもん。

 

情報を鵜呑みにすることはもちろんよくないし、最近では流れてきたままに情報を浴びまくるというのも、なんだか体にとって毒のように思えてきた。

 

情報を武器にしろ!みたいに大人たちはよく言うけど、それもどうなんだろう。

 

というか、大人たちの言うことって、なんか、だいたい正しくない。

この人にはこの人の人生があって、過去の経験からこう考えるようになったんだなあ、とは思うし、参考にはなるんだろうけど。

 

あれ?そもそも、正しいってなんだ??

 

とにかく、自分にとって価値のあることを見極める目は養いたいよね。

 

 

 

 

 

【カフェ日記】親戚のおうちみたいな空間。 cafe gallery phteah(プテア)

最近、古民家カフェの良さに気づきました。

 

ってことで昨日、ずっと気になってたcafe gallery phteah(プテア)さんに行ってまいりました。

 

池田市の、栄町商店街からは少しだけ外れたところにあります。

 

長屋の集合地?みたいなところでした。

 

お店に入ると、まずは雑貨と本の販売スペースがあり、靴を脱いで奥の座敷へ。

 

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こんなかんじ。

 

畳にそのまま座る感じです。

 

こういうの、意外とないですよね。素敵ですよね。

ごろんと寝転びたくなります。

 

本もたくさん置いてあって、絵本とか、小説とか、旅系とか。東南アジアの本も多かった。オーナーさんが好きなのかな?

あ、「竜馬がゆく」もあって、なんか嬉しかったな。。

 

 

お昼時は過ぎていたので、黒豆餡入りシフォンケーキと、ホットカフェオレを頂きました。

 

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スイーツは、他のところで作ったものを提供されてるみたいです。

 

餡は甘さ控えめで、シフォンケーキは卵感強めのふわふわ生地で、おいしかったです♪

 

秋とかに行っても、風が気持ちよくて居心地よさそうだなあ〜

 

Cafe gallery Phteah
〒563-0055 大阪府池田市菅原町10-8
800円(平均)800円(ランチ平均)
r.gnavi.co.jp

 

 

 

【読書日記】今日も100人近い人が自殺してる。

リリー:そのときにウサギが「死なないらしいよ」と言ってたら、すごい人口になってますよね。でも、それでも老いていくわけじゃないですか。ほんとはみんなが一番怖がっているのは「死」じゃなくて「老い」。今、現実に120歳の人がいれば、やっぱり120歳の外見になってるわけだし、200歳まで生きても200歳なりの外見になりますよね。でもそれは、みんなが本当に望んでいることじゃない。だって本音は、外見も内面も老いたくないわけですから。だから寿命を作ったという意味では、ウサギ、「ナイス言い間違い!」なのかもしれないですね。 

 

お月さまとウサギの掛け合いにより、ウサギの口が割れて、月に黒点ができ、人は死ぬようになったというおはなしが、ある国ではあるらしい。

 

もし「死」がなかったら、やっぱり怖いと思う。終わりがないのに、どう生きたらいいのかわからない。それはいくら「今」が楽しかろうと、きっと怖いと思う。出口がないってことだもん。もちろん死んだあとのことなんてわからないけど。

 

逆に「老い」のことを考えると、「今」を大切にしようと思う。なんせ、私の残りの人生においては「今」が一番若いのだから。

 

 リリー:なにか計画立てて考える人って、人生を線路に例えてみたり、とにかく一本の線だと思ってるじゃないですか。でも、人生とか時間というのは線ではなく点の集合体でしょ。だからつなげて物事を考えていくっていうのは、本質的な意味で間違ってるわけだし、そりゃあ、うまくいかないですよね。金を貯めてりゃ誰かに持っていかれ、結婚しても失敗して…って、点だから起きる「予測できないこと」ですよね。

 

そう考えると、すごい平べったい話に聞こえますけど、今が一番大切だっていうことですよね。あと、死ぬことは変えられないし、老いることも変えられないけど、どんな年寄りになるかということはある程度、自分で決められると思うんです。

 

人生について、頭であれこれ考えてしまうけど、結局はシンプルなんだよなあ。

 

私は、どんな年寄りになりたいだろう。。。

 

いつもニコニコして、近所の子どもたちに絵本の読み聞かせとかしてたら、幸せだろうなあ。

 

 

 

【読書日記】自分の幸せと、他人の幸せ。 

月美は、家を離れて向かっている先が「わたし」であることに、偶然ではあるが、とても意味があるように思えた。本当の「わたし」は、こんなふうに、誰にも知られない場所にぽつんとあるもので、それを今は見失っているだけのような気がした。何が生きとし生けるものが幸せでありますように、だ。自分がくたくたになっているというのに、まだ人のために生きろというのか。

 

「世のため人のため」とか、「人生はギブだ!」とか言うけど、なんにせよ、まずは自分ありきだと思う。

 

それは決して自己中心的ということではない。

 

…いや、そうかも。

 

自分から世界を見ると、中心はいつだって、どこでだって自分なのだから。

 

自分の幸せセンサーを研ぎ澄ましておいて、それが他人の幸せセンサーと一致したな、というところで、ちょっとばかし頑張ってみればいいんじゃないか。別に頑張らんでもええけど。

 

「生きとし生けるものっていうのはさ、自分も入ってるんだよ」

月美が「えっ」とつぶやくと、元の道だった。